アメリカの中のあいまいな日本
こんにちは。
スクールリーダーのえみーこです♪
今回のコラムは子育て目線から離れて、私がアメリカで感じたすこし愉快な「日本」をご紹介してみたいと思います。
私がアメリカのシアトルに渡ったのは1996年。
その頃のシアトルは、現在のようにシアトル発のマイクロソフトやアマゾンが台頭しておらず、新しいものを求める貪欲な活気に溢れながらも、ほのぼのとした雰囲気を残していた街でした。
そのうちに街は数々の企業の成功と、経済の成長とともに様変わりし、世界のあちこちから人がやってくるようになりました。
そして旅行や留学、そして定住する日本人が増加するのに伴い、スターバックス一号店に列をなす日本人の修学旅行生のルーズソックスにアメリカ人が衝撃を受ける、なんていう光景も恒例となったものです。
そのように「日本」がひっそりとアメリカに滑り込み、地元の人々に馴染みあるものへと少しずつ変化していきました。
私が21年間過ごしたシアトルは、そんな変化の渦の中にあり、様々な場面で新しい文化としての「日本」と遭遇することにもなりました。
私はシアトルのカフェで働いていたことがあるのですが、カフェには日々様々なお客さんがたくさんやってきます。
ある日若い白人男性がやってきたので、注文をお聞きすると、
すごーく流ちょうな日本語でこう言いました。
「僕の名前はピーターです。僕は糖尿病で、2型のほうです。」
いきなりディープな自己紹介?
日本語の勉強を始めたばかりの彼は、町で日本人に遭遇するたびに、覚えたばかりのただ一つのフレーズを武器に日本人の友達を探していたようです。
いやいや初対面の相手に対して、もっとふさわしい情報があるって!?
とつっこみたいのをぐっと我慢して、
「お大事に」
という日本語を教えてあげました。
自己紹介にもっと役立つフレーズを、彼が習得していることを切に願います。
またある日、ピアスを耳だけではなく鼻、目じりとあちらこちらにつけたイケメン白人の男性がカフェに入ってきました。
コーヒーを注文する彼の腕にはいくつかのタトゥーが入っていましたが、右腕にやたらと主張している字が目にうつります。
力強い字で
「朝鮮」
とありました。
「朝鮮」でいいんだよね?
「朝鮮」に思い入れがあるんだもんね?
間違っても「挑戦」と彫るべきところを、ミスで「朝鮮」にしちゃったわけじゃないんだもんね?
・・・なんていう疑問が私の頭の中でグルグル周りながらも、なんとかハローと挨拶をすると、男性はおもむろに、
「いいでしょ。このタトゥー。」
と、私の心の言葉に挑戦するかのような言葉を投げかけてきました。
私は思い切って口を開きました。
「あなたの人生のテーマはチャレンジ?」
彼は言いました。
「うん。このタトゥーがそう表現しているようにね。」
かっこいい言い方がイケメンに似合ってる??
・・・ってそんなことより、やっぱり間違ってる!
チャレンジを言うなら「朝鮮」・・・じゃなくて「挑戦」!!
でも・・・「朝鮮」に北という字を前につけると挑戦的と言えなくもないし、国もいろんな挑戦を背負ってるし。
って、そういう意味の挑戦??
って、どっちでもいいわ!
と思いなおし、
「人生って失敗しても、チャレンジすることに意義があるよね!」
といろんな意味を込めて彼にお返ししました。?
ちなみにアメリカでよくみかけるタトゥーにはなぜか、漢字の「台所」やドランゴンボールなどのアニメキャラクターがあります。
アメリカの中の日本を語るとき、欠かせないのはアメリカの日本食です。
シアトルには回転寿司はもちろん、居酒屋もありますし、今はなんといってもラーメン屋が大流行でどこへ行っても長い列をなしています。
私がシアトルで働いていた頃は、同僚が
「おススメの食べ物見つけたよ!
びっくりするから一回食べてみて~?」
と言いながらラーメンを勧めてくると、意味もなく日本人としての自尊心が傷つけられたりして。
「何百回も食べたことあるわい!」と叫びたいけど大人げないし、
みんなはラーメンという食べ物に人生で初めて出会って、その感動を伝えたい純粋な気持ち一色なんだし。。。
と思いながらも、控えめに日本食であることを主張しながら、そんなことはどうでもいい同僚とよく一緒に食べていました。
しかし私が初めてシアトルに足を踏み入れた23年前は、日本食もどこか怪しく、あくまでもジャパニーズフードが「和食風」といった感じでした。
まだまだホームシックを強く感じていた頃、【ジャパニーズフード】と書いてある店に飛び込みメニューを開きました。
メニューには、アメリカ定番の日本料理であるテリヤキ、ギョーザなどの文字が並ぶなか、目にとまったのが、
「ふきおかチャンポン」
アメリカでチャンポンが食べられるー!!
チャンポンなんて食べたこともない日本人でない夫に、
「新しい世界にようこそ。」
なんて言いながら一人興奮の渦に飲み込まれています!
だけど待って、待って。
何かがしっくりこない。
ちゃんぽんはいいとして、「ふきおか」って。。。
「ふきおか」ならず「福岡」のことだと気づいたのは、空腹にホームシックな気持ちが焦りとなり、とりあえず注文した後のことでした。
まっ、私は福岡県人じゃないし、「く」と「き」の間違いぐらい許してやろうじゃないのと、箸を持ってワクワクしながら待っていました。
しばらくして運ばれてきた「ふきおか・ちゃんぽん」は・・・
そうそう!あの白いスープ!
麵の上にキャベツがいっぱいのっていて
ブロッコリーも…み、みかんも!?
・・・申し訳ありませんでした?
私が勝手に「福岡ちゃんぽん」を想像していただけのこと。
これはブロッコリーとみかんがのっている、正真正銘の「ふきおかちゃんぽん」に違いありません。
はい、「福岡チャンポン」なんてどこにも書いておりませんでした。
夫には、
「こっち側の人間みたいに振舞ってたけど、今そっちの新しい世界にお邪魔してます。」
と小声で訂正しておきました。
こうなったら私が知らない和食的で不思議な食べ物がもっとあるんじゃないかと、好奇心がむくむくと頭をもたげてきました。
メニューを再度手にとり目を凝らしてみると。。。
「Stir Fry」
アジア食のレストランでは「炒め物」という意味で、定番のメニューです。
野菜炒めかと思って、英語のメニューの横に添えられていた日本語訳を読んでみると。
「にんじん、玉ねぎ、キャベツといろんな肉の炒め物」
野菜はご丁寧に一つずつ紹介をうけてるのに、肉の紹介がぞんざい。
肉に「いろんな」ってつけちゃうと、興味と恐怖が止まらないです?
とはいってもこうやって振り返ると、あの頃は日本理解への曖昧さが愉快でもあり、心地よかったなーと少し感傷にひたる今日このごろです。
インターネットや情報の発達によって、日本と世界の距離が縮まっている世の中。
正しい情報にも、間違った情報にも、そしてその間に生まれるあいまいな隙間にも、文化やドラマが宿るんだと感じます。
日本の素晴らしい文化や固定観念のなかに、全く違う価値感が入り込み、またその間で既成概念が打ち砕かれた「あいまいとする文化」を経験しながら、「自分の価値観」を持てるような子ども達が育つといいなと思っています。
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