生まれてきたことを、まるごと肯定する。
ありがたくて、ありがたくて、しかたない。。
お母さんのお腹の中にいた頃の感覚を、思い出したことがある。
この世に生み出される瞬間の感覚を、思い出したことがある。
妄想だったのかもしれない。
でも確実に言えることは、わたしも、お母さんも、おばあちゃんも、そのまたお母さんも、ずっとずっと気が遠くなるくらい昔から、途切れることなく「命をつないできた」ということ。
途方もない物語の鎖を、つないできたということ。
「ただ、無事に産まれてきてほしい。」
何人もの人に応援されて、生まれてきた。祝福されていた。
その瞬間、他に望まれたことは何もなかった。
「生まれて、そこにいる」それがすべてだった。
時が過ぎ、成長するにつれて、自分は本当に生まれてきてよかったのか、自信が持てなくなっていった。
うまくいかないことが、多すぎた。
いつも何かしら、居心地が悪かった。
心のどこかでずっと、自分自身を恥じていたように思う。
「自己肯定感。」
最近よく耳にする言葉だ。
辞書によると、『自己肯定感=”自分は大切な存在””自分はかけがえのない存在”と思える心の状態』とある。
どうやら、大人になってからのわたしは、ありとあらゆる方法を使って、この「自己肯定感」を取り戻すという作業を一生懸命続けているようだ。
生まれてきたことを、まるごと肯定する。
嬉しいことも、辛いことも、輝かしいことも、恥ずかしいことも。
おかげで、ちょっとは生きやすくなった。
ずいぶん、生きやすくなった。
世界はわたしの敵ではなく、祝福に満ちたわたしの「居場所」だという感覚。
わたしの先に、まだまだ命がつながれていくのだとしたら、この感覚だけ、育みたい。他のものはいらない。ひとつだけ、これだけ。
「生まれてきてよかった」そう思える物語を、誰かとシェアできること。
「生きる」って、そういうことだと想うのです。
PETERSOXマネージャー YUGA