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「これってふつう?」-常識からの解放

 

日本で育った私がアメリカに渡ってからの21年間、

何気ない日常生活のなかで、

 

「これってふつう?」

 

という言葉が、何度頭によぎったことかわかりません。

 

子供のお迎えがせまった時間に、焦りつつスーパーのレジで並んでいると、レジ打ちのおばさんが、

「このマーガリンおいしいの?

私、サニー会社のを買ったんだけど、それもなかなかおいしかったわ。

っていうか、今日食パン買って帰らないといけないわー。

旦那に頼まれてるからさあ・・」と長々と話し始めて・・・

 

「えっ?私この人と知り合いだったっけ?

これってふつう?」

なんて戸惑うこともよくありました。

 

この21年間は、仕事や子育て、はたまた国際結婚から経験する価値観の違いを通して、とにかく私の「ふつう」が打ち破られる毎日でした。

 

そして今年の7月に日本に戻ってからは、無意識に私に染みついていたアメリカの常識が、ここ日本では当たり前ではなく、母国でまさかの「ふつう破り直し」の日々です。

そしてスーパーでは、レジ打ちのおばさんに話しかけたい衝動を抑えるのに必死です。

 

そんなことに日々どぎまぎしながら家を出ると、日本の学校や子育てにおいて、どれだけ私たちが信じている「常識」が、意外にも子ども達に影響を及ぼしているのかがみえたりします。

 

街に出るとお母さん、お父さんの、

「もう、ちゃんとしてよ!」

としたイライラした声が聞こえることがよくあります。

 

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親なら誰でも、子どもが素直に言うことをきいて「ふつう」に行動してほしいものです。

他の人の目がある公共の場では特に。

 

日本ではなんてことのない光景ではありますが、「ふつう」の迷子になっている今の私は、その声を親としてではなく3歳の子ども目線で捉えるんですね。

まずはイライラしたお母さんの声におびえて、心臓がキューンとなります。

そして後から、

「ちょっと待って。ちゃんとって何?」

と純粋に思うのです。

 

しかし、そもそも「ふつう」の子っているんでしょうか。

 

色とりどりのおいしそうなモノが溢れるスーパーで、つい心が躍ってピョンピョン飛んでしまう子どもは、ちゃんとしていない子どもなのでしょうか。

 

学校でちゃんと座れない子が増えたという声が世間の「ふつう」になりつつある今、

「ふつうは座れるだろ。」という先生は、どこを切り取って「ふつう」と言っているのでしょうか。

 

私は自分の戸惑う経験を通して、世間の「ふつう」っていうものは案外、根拠がない不安定なものなんじゃないかなーと思い始めています。

 

国や文化が違えば、同じ行動だって相手の感じ方が全く違ってきます。

 

私たちが信じる「ふつう」は、正しい、間違っているという明確な判断だけではなく、

私たちが住む場所の大多数の人がそう思うから・・

というだけで「ふつう」となっていることが多いのかもしれません。

 

 

息子が小さい頃、シアトルのお店で「ちゃんとしなさい!」と怒鳴っていた私に、見知らぬおじさんが来て言いました。

 

「子育て大変やねー。でもこんな時期もあっという間に終わるよ。

我慢するのも、あとたったの20年や!」

(一応おじさんのジョーク。笑)と。。。

 

店の誰よりもうるさい声で怒鳴っていた私は、その場では「ふつう」ではなかったんだとハッとさせられました。

 

10年後の「ふつう」は、今の「ふつう」とは違うかもしれません。

 

 

ここで一度、「ふつう」を手放してはどうかなーと思っています。

 

 

思いやりを持つこと、危険なことをしない、人にされて嫌なことをしないなど、人間として共通の道徳を子どもに伝えるのも大人の役目です。

 

しかし、それ以外の誰かが決めた「ふつう」については、脇に置いておいてもいい日があるのかもしれません。

 

 

つい動いてしまう子が「ふつう」でいるだけで、そんな自分は「ふつう」だと認めてもらえず、いつも責め続けられたら。

 

その子はいつまで「ふつう」じゃない自分で居続けなければならないのでしょうか。

 

周りにとても敏感で、一人でいるのが好きな子が、

「学校へ行けば、お友達がいるのがふつうでしょ。

お友達と仲良くしてほしいなー。」

という言葉ではなくとも、親からの無言の圧力をいつも感じていたなら。

 

その子はいつか、「生きるためには、本当の自分を閉ざして生きていかなければならない。」と決心せざるを得ない時がくるでしょう。

 

その弊害は思春期に不安定な心として現れるかもしれませんし、

他のお友達に意地悪をしたり、

または自分自身を傷つけるような行動をとることもあるかもしれません。

 

私は同じ親として、「ふつう」に追い詰められて不安や寂しさを抱えたお母さん、お父さんの気持ちが愛おしく感じます。

同時にとても痛々しく感じます。

 

というのも、私はこのコラムを、自分への反省もかねて書いています。

 

私の息子は多動傾向があり、なかなか手ごわい幼少期を過ごしました。

「この子は特別な子だ」と言って息子を大事に教育してくれた先生もいた一方、息子のことを「ふつう」でないと敵視していた先生もいて、このアメリカでも「出る杭は打たれる」っていう言葉があるんだな・・・と何度つぶやいたことかわかりません。

 

そんなとき私は息子を守ることより、

周りからの目を気にして、

「ふつう」をいつも子育ての指針にしていたような気がします。

 

それから数年経ち、息子の心が不安定になってから、私の子育ては新たに始まったような気がします。

 

そして多くの子どもや保護者、教育者達と出会い、

助けてもらいながら、

少しずつ「ふつう」を手放していった親でもあるんです。

 

 

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そもそも、親や先生が一生懸命になってイライラしている内容は、果たして子どもが本当に直さなければいけない行動なのでしょうか?

 

最近のことですが、息子が和歌山の中学校に編入した際、

学校から「お子さんはハーフですから髪を黒に染めてもらう可能性があります。」と言われました。

 

息子の髪は黒髪なので取り越し苦労でしたが、集団の秩序を教えることの大事さを踏まえても、

生まれ持った髪を染めてまで合わせる「ふつう」にどれだけの意味があり、

本当に子どもに教えたいことは何なんだろうと疑問に感じたものです。

 

ちなみに多くの人種が入り混じるシアトルでは、

黒髪を持つアメリカ人は「ふつう」です。

 

さらに、私が通勤途中でみかけたスクールバスを待つ中学生男子が、毎週月曜日に髪の色を変えて立っていたのですが、今週は緑かな?ピンクかな?と一人でニヤニヤと想像する朝も、私にとっては「ふつう」の月曜日でした。

 

別の日には寝癖をつけて日本で登校した息子が、「外見の乱れは心の乱れ」だと先生に叱られました。

息子はたどたどしい日本語で、先生にこう言ったそうです。

 

「僕は朝が苦手でごめんなさい。

でも僕は日本の学校で一生懸命頑張っているから大丈夫です。

寝癖はなるべく直してきます。」と。

 

私はそれを聞き一瞬ヒヤっとしましたが、息子が一生懸命対応したんだから、後は本人に任せようと心を持ち直しました。

 

生活で困り感を抱かせる特性への、特別なサポートと対応が必要な子どもいるのは確かです。

しかし時には大人の心をリセットして、私たちの「ふつう」フィルターがかかったメガネを外してみる時間もとても大切だと思っています。

 

例えば物事に取り組むのがゆっくりで、時間や課題に間に合わせられない子に、将来を案じてお母さんはこう言ってしまうかもしれません。

 

「なんであなたはいつもゆっくりなの?」と。

 

それはつまり、

 

「どうして、あなたはあなたなの?」

 

と聞いているのと同じです。

 

子どもにすれば、「そう言われても・・・」です。

 

そんなとき「間に合わなかったね。じゃあどうする?」って聞いてあげればどうでしょうか。

 

変わらない特性もありますが、子どもの「考える力」はいくらでも伸びます。

 

立ちはだかる問題に対する考える能力や粘り強さは、自分の弱点をカバーし、自信と生きる力を養います。

 

お子さんが大人の言う通りに、今日の「ふつう」に間に合うように教え込まれて行動していたとしたら。

明日の「ふつう」には通用しない日がくるかもしれません。

 

 

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またもうひとつ、親が周りを気にして「しつけ」や「ふつう」に縛られないためには、社会の寛容さがとても大事だと思っています。

 

しかし、他人を気にしすぎる日本では、その実現は簡単ではありません。

 

私は教室で時々、不安が止まらないお母さんに、

「お母さん、今は私にまかせといて!」

と言ったりします。

 

決してお母さんの行動を非難しているわけではないんです。

 

私は子どもに厳しく話すこともありますが、「どうしてやってくれないんだろう」と感情的になることはほとんどありません。

 

ありのままのその子であることを信頼し、尊敬しているし、

向上したい気持ちがその子に必ずあることを心の底で知っています。

 

なんて、わが子でないからこそできることもあるんですね・・・。

 

息子相手にはなかなかできません。

 

たまたまその瞬間、お母さんができなくて私ができることもある。

その逆もしかり。

それをできるのが、もしかしたらお母さんでも私でもなくて、隣に座ってるお母さんかもしれません。

 

時には、子どもに大人みんなが助けられることもあります。

 

私はしょっちゅう、子どもにも「先生!それは間違ってると思うで!」と言われます。

 

それでいいと思っています。

 

私は子どもや、お母さん、お父さんたちが、互いに優しい気持ちや不安な気持ち、そしてイライラも全部受け入れられながら自分らしく成長し、こどもの尊い個性や才能をみんなで伸ばせる社会になればいいなと願っています。

 

ここまで読んでくださっても、まだまだ「ふつう」でないことに心を開けないお母さん、お父さんへ。

 

まずは、こどもと二人きりのとき。

 

おもちゃの散らかった部屋の真ん中で、

「まっ、いっか。」

と子どもに、

そして自分自身に笑って言ってあげてみてください。

 

 

スクールリーダー
エミーコ

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【アメリカで子育てをした私が日本の子育てについて思うこと。】

見守るだけでいい? 楽なのに、親子そろって幸せな子育てって本当にあるの・・・?

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